「やりたいこと」は実在するのか

 背景は、僕が進路について、真剣に向き合わざるを得なかったことにある。

 そして進路を考えるにあたり、「やりたいこと」は何かということを考える必要が出てきた。

 そして、考えることによって僕が出した結論は、当初僕が予想していたものと少し違っていた。

 それをここに書き留めておく。

表題を改めて解釈してみよう。 

「やりたいこと」を人生の中心に据え、その実現を目指して行動することがよい、と一般に言われる。

そして、「やりたいこと」は当然ながら、具体的な”こと”であらわされる。 例えば、イチローにとって、「やりたいこと」はプロ野球選手であることのように。

特に就職活動の中では、頻繁に聞くことである。そしてそれは、企業側よりは、リクルーター側、就職のハウツー本などで顕著であるような気がする。

そして、これもまた就職活動の中でなのだが、「やりたいこと」は、それぞれの胸の中に存在していて、「やりたいこと」がないという人も、自分について深く考えたり、いわゆる自己分析を行うことで、それを発見できる、といわれている。

一般に「やりたいこと」について述べられていることを整理すると次のようになる。

①「やりたいこと」の実現に自分の人生の中心に据えて生きるべきである。

②やりたいことは、具体的な”こと”で表現される。

③「やりたいこと」は分析的手法を用いれば、だれでも発見できる。

そこで、僕は、上から順番にその前提を含めて考えていく。

その中で特に、僕は、③に論点を当てたいと思っている。

そして、結論からいえば、僕は度の言説に否定的である。

まず、①について。

「やりたいこと」の実現を目指す生き方には、肯定せざるを得ない。

ただ、その生き方をだれもが実現できることではないということが問題の一つ。

そして、もう一つは、やりたいことがないという人にとって、この言説は、やりたいことがあるという人と比べて引け目を感じる要因になりうるということ。

また、同様にやりたいことがあるけれども、経済的な理由などで実現が難しい人にとっては、いまここに注力しない言い訳になりうる。

この2点から、①の言説には何らかの再解釈が必要だと思っている。

そして、②やりたいことは、具体的な”こと”で表現される へ進む。

当たり前のことを言っていて、これ自体に解釈を加えようがないのだが、論点として挙げるために、明記した。

すなわち、人生の中心に据えるべきであるという「やりたいこと」を具体的なことであらわすことは、ほとんどの場合において、むずかしいと考えている。

つまり、どういうことか 僕は、具体的なことを人生の中心に据えるべきではなく、目指すあり方を規定し、それに従った生き方を目指すべきであると思う。

なぜならば、やりたいことというのは、様々な要因が偶然に何か特定の”こと”に現れているに過ぎないと思っているからである。

成功者のわかりやすいストーリーを聞くと、「やりたいこと」なる明確な”こと”があるように思えるが、それは偶然その人が目指すあり方を実現する手段に「やりたいこと」が適していたか、あるいは、後付けで、一貫した論理とするために、「やりたいこと」というものを規定しているに過ぎない、と思う。

だから、僕たちが、そのストーリーを真似しようとするのではなくて、それぞれが目指すあり方を決めて、それにどれだけ近づけるかということを考えた方がよいと思う。

なぜ、あり方を規定する方がよいのかとする積極的理由については、割愛。方法序説を読んで思ったことなのでそちらを参照のこと。

それを踏まえた上で③へ。

③「やりたいこと」は分析的手法を用いれば、(一定の年齢に達していれば)だれでも発見できる。

まず、この言説に対しては、否定的にならざるを得ないでしょう。

絶対内定という就活本の中で、一番売れている本に書かれている内容なのですが、様々な視点から否定できると思います。

分析的手法によって、自分の指向性や、人にどのように見えているか、ということは、ある程度分かるかもしれません。しかし、その読者の大半が22~25歳程度の経験で、何か特定の「やりたいこと」が見いだせないと思います。明らかに判断するための経験が不足しているからです。

例えば、一度も働いたことがない人が、金融業界で働くことがあなたがやりたいことです。と提示されて納得がいくのでしょうか?

なので、分析的手法が普遍的な手法だと思えない以上、就職活動に対して不安を持っている学生を餌にした商売のようにしか思えないのです。

「やりたいこと」は誰のうちにでも存在していて、自己分析を行えば、それが具体化される、ということは、誰にでも当てはまるものではなく、むしろ、当てはまらない人のほうがおおいと思います。

ましてや、就職活動の場において、たとえ、やりたいことと職業と結びつくわけではないでしょう。また、結びついたとしても、実際にその職務につけるかどうかは、他部署へ配属されたなどのリスクが伴うところでもあります。

もう、酔っ払って、議論がめちゃくちゃなのですが、僕が最終的に言いたいことは次です。

「やりたいこと」は存在しないかもしれない。だから、僕たちは、「やりたいこと」がないことに引け目を感じて、生きていくのではなくて、だからといって、自分の指向性を知ること、また、自分を良くすること、に対しての努力は継続すること。

そして、「やりたいこと」が見つからないのであれば、当分の間、可能であれば、「やりたくないこと」をやらないことを貫くことが良いのではないか

「やりたいこと」は私の中に、生まれたときから存在するのではなく、じんせいの中で形成されていき、変化をするものではないかということ。

なんとなく、最後は断定口調になりましたが、酔っ払ってもう考えられないので、ここで締めることとします。