人間とは何か? -SF映画から考える
人間とは何か?という哲学的な問いをテーマにして、扱う映画はたくさんある。
僕は、その中でもSF映画に興味をとても持った。
なぜかというと、科学技術が進歩するにつれ、人間の認知や意識について理解が進み、人間とは何か?という輪郭が明確になってくるからである。
どういうことか。
SF映画には、アンドロイド、サイボーグなどが登場する。
具体的な作品名を挙げれば、「攻殻機動隊」、「ブレードランナー」、「エイリアン」シリーズなどである。
アンドロイドやサイボーグは、人間を模して造られるが、それぞれが特有なふるまいを見せる。
例えば、「エイリアンコヴェナント」における、アンドロイドは、人間がもつ倫理観を逸した行動をする。(ネタバレのためにぼやかしておく)
つまり、私たち人間が、人間を造る過程で、人間とは何かを理解し、また、アンドロイドやサイボーグと人間の差異が、私たち人間の本質を示すような気がするのである。
特に、SF映画は、既存の認識を超えて、我々にその本質を届けてくれるように思える。
全く話は変わってしまうが、僕は、自分の関心と、進路とを上手く折り合いをつけることができないかと考えていた。
僕の関心は、哲学にあった。
人間とは何か、人間がつくる社会は、なぜ、今のようなシステムを持つのか。
人間が幸せに生きていくには、どうしていけばいいか。
この生は生きるに値するのか?
一方で、これらは、簡単には、キャリアと結びつかない。
そういう学問をするための時間は、それほどないだろうと思う。
その前に社会とどう折り合いをつけるか、ということが高い優先度をもって迫ってくるからだ。
そこで、一つの結論として、人間とは何か?ということを、信号処理や、情報処理技術を使って、解明していくことを研究のテーマとして、実証的な立場から探求していくことにしようと思う。
腑に落ちない点がないわけではない。
僕は、ほそぼそと哲学の勉強をしてきたが、大学入学時に手に取った哲学書がいまだに理解できず、なぜか、僕は、これを理解する必要があるのだ、という切迫感に今でも駆らている。
しかし、学問を学ぶためだけの期間というのは、ある年齢まで許されていることで、たとえ学者であれ、事務作業や教育指導をする必要がある。
だから、僕はもうすぐ社会と折り合いをつける必要がある。
大人になるとは、何であれ社会と折り合いをつけることだ、と聞いたことが思い出される。
けれども、大人になることは、必ずしも悲観すべきことではない。
大人にしか味わえないものがあるんだろう。
僕は、不安とやり残したことへの未練を残しつつも、大人への一歩をようやく踏み出そうと思う。